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【特別講義】 弥富文鳥概論

来館した人にお話するぶんちゃん
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トップ画像:資料館の来館者に講義するぶんちゃん先生(@yatomi_rekimin)

さくら:ぶんちゃん先生、こんにちは。学生のさくらです。
ぶんちゃん:じゃあ今日は弥富(やとみ)に住んでいない文鳥ファンにも分かりやすいように、簡単に弥富と弥富文鳥を取り巻く動きについて説明するよ。
さくら:はい、先生、お願いいたします。
※この記事は弥富市歴史民俗資料館様よりご寄稿頂きました。

愛知県弥富市は150年以上前から文鳥の繁殖が続けられてきた、文鳥学にとっての重要な研究フィールドだよ。それに、白文鳥が誕生した場所でもあるんだ。でも、現在様々な問題により弥富文鳥は存続の危機にあるんだよ。

弥富文鳥概論は、一般の飼い主に文鳥とかかわりの深いまちである弥富、そしてそこで生まれた私たち弥富文鳥について理解を深めてもらうことを目的とした講義だよ。

今回は文鳥大学かいぬし学部の学部長のご厚意で特別講義という形で何回かに分けて、今どのようなことが弥富の文鳥の周りで起きているのか説明するよ。

(2)弥富と文鳥文化

さくら:はい、あります!でも、初めて弥富に来たときは文鳥の小屋もなくて、本当に文鳥の産地なのかなって思ったよ。弥富ってどんなところなの?

ぶんちゃん:弥富市は愛知県の南西部にある、人口44,000人ほどの小さなまちだよ。名古屋駅から電車で15分ほどの距離にあって、金魚生産が盛んな地域として広く知られているよ。

こちらを向く弥富文鳥のヒナ

文鳥が弥富にやってきたのは江戸時代の終わりごろといわれていて、名古屋の武家屋敷に奉公していた女性が弥富の又八新田に嫁入りする時に、奉公先で飼われていた桜文鳥をもらってきたのが始まりとされているよ。

明治時代には弥富で白文鳥が誕生し、改良を重ねた結果一つの品種として定着。弥富では代々農家の副業として繁殖が続けられてきて、日本で唯一の文鳥の飼育文化を持つ地域として発展したんだよ。

さくら:弥富は白文鳥のふるさとというだけではなくて、日本中で文鳥の飼育が広まるきっかけになった場所なんだね!

ぶんちゃん:日本では終戦後に小動物を飼うことがブームになり、文鳥の需要も大幅に増加したんだ。

最盛期の1970年代には組合員だけで200軒以上の文鳥農家があって、7万羽以上が飼育されていたんだ。当時は又八集落を歩くと私たち文鳥のにぎやかな声がしたらしいよ。

(3)弥富文鳥の現状

さくら:ぶんちゃん先生、昔は文鳥がたくさん飼われていたのに、どうして今は小屋が見当たらなくなってしまったの?

ぶんちゃん:平成に入ると人々の生活スタイルの変化や娯楽の多様化などにより、文鳥の需要はそれまでよりも低下してしまったんだ。

挿し餌と弥富文鳥

また、繁殖者は高齢化が進んで飼育軒数は減り続けていて、文鳥組合も解散となってしまったんだよ。

だから近い将来、文鳥飼育が日本中に広まるきっかけとなった弥富から文鳥がいなくなってしまうのではないかと心配されているよ。

さくら:文鳥文化の存続のために、何かできることはないかな?

(4)さまざまな取り組み

ぶんちゃん;弥富の文鳥文化を守ろうと、弥富市内外で様々な取り組みが行われているよ。

弥富市の近隣の高校では文鳥の繁殖が続けられていて、毎年のようにひなが生まれているよ。

また、弥富市内では文鳥グッズのイベントが定期的に開催されていて、たくさんのお客さんがおとずれて盛り上がっているんだ。

イベントでは、市内のメーカーさんが作った文鳥のおみやげも販売されているよ!

さらに2018年からは歴史民俗資料館でわたし(ぶんちゃん)が「文鳥職員」として勤務しているよ。

わたしは来館してくれた人に文鳥の生態や魅力を紹介する仕事をするかたわら、文鳥大学でも特任准教授として勤務しているよ。

いろいろな取り組みのおかげで、一般の方への文鳥の知名度が上がりつつあるんだ!

(5)まとめ

さくら:今回の講義で弥富の文鳥の現状と、文鳥文化を保存するために頑張る人たちがいることがわかったよ。

ぶんちゃん:弥富文鳥概論では、市内外の受講生が弥富文鳥文化の存続のために弥富文鳥をPRする取り組みを紹介していく予定だよ。

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